インザミソスープ



イン ザ・ミソスープ (幻冬舎文庫)イン ザ・ミソスープ (幻冬舎文庫)
(1998/08)
村上 龍

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あらすじ

ケンジは20歳という若さながら、歌舞伎町で外国人相手に、風俗のガイドという仕事をしている。日本の風俗のシステムを紹介し、いい店に連れて行くというこの商売はいいカネになるのだ。
 もう、その年も後3日で終わろうとするころ、フランクというアメリカ人から3日間のガイドの依頼を受ける。一見すると普通のアメリカ人だが、ふとした瞬間に見せる表情や行動に違和感を感じる。
 1日目の仕事が終わった次の日、女子高生がバラバラ殺人に会う事件が発生する。ケンジはなんとなくその殺人事件とフランクに関係性があるような感覚を覚える。そして二日目、フランクと"お見合いパブ"に行き、ぼったくりに合いそうになった瞬間惨劇が始まる。
 この殺戮のあと、フランクは「人生の最後のパートをきみにゆだねたい」とケンジに言う。警察に行けと。出会ってわずか二日しか経っていないアメリカ人が、目の前で大量殺人を犯したのに、ケンジは警察に駆け込むどころか、大晦日をフランクと過ごすことになる。フランクは自らの生い立ちと狂気を語り、ケンジはフランクの殺戮を容認する…。


前回の日記の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の旅」と一緒に図書館で借りてきた本。
なんというかシャレのつもりというかwwwww同じ村上なんですが、村上龍は暴力とセックスと闇。完全に村上春樹とはベクトルが間逆というか…ハルキを読んだ後の生ぬるい感覚を払しょくしてくれるだろうと思いまして。

舞台である歌舞伎町にうごめくのは、ブランドものにしか興味を示さず、一流品で身を飾れば自分が一流になったと思う女であったり、その女を欲望を剥き出しに口説くサラリーマンであったり、何かがすり減ってしまったような顔をしたボーイやマスターであったり。そしてそんな「人間の皮をかぶった人形」のような者たちに向って振り下ろされるフランクの鉄槌。
何ページにもわたる殺戮のシーンは酸鼻を極めます。

殺した人間についてフランクはこう言います。

おれはあの連中と接しながら、こいつらのからだには血や肉ではなくて、ぬいぐるみのようにおがくずとかビニールの切れ端がつまっているのではないかと思って、ずっと苛立っていた

分かってしまうと問題なのかもしれませんが、このフランクの台詞には共感してしまうものがありますね。

フランクは、「16人いる家族のためペルーで小さなアパートを借りるために日本に来た」売春婦と出会い、彼女から聞いた体験談をケンジに伝えます。
フランクは、この売春婦の口を借りて日本と日本人について語るのですが、意外なことに(?)フランクの語る日本のイメージはすごく優しく、あこがれさえ感じるのです。いや、だからこそ裏切られた感がしたんでしょうか?

ラストで、フランクはコロラド州の寿司バーで注文した「ミソスープ」の話をします。
その時は飲まなかったが、心残りはケンジと一緒にミソスープを飲めなかったことだと言います。
これからミソスープを飲みに行こうと誘うケンジに対してフランクは、「ぼくは今ミソスープのど真ん中にいる」と言います。
フランクの言う「ミソスープ」とはあこがれていた優しい日本の象徴なのでしょうか?
それとも、日本へのあこがれや自身さえ飲み込む闇なのでしょうか?
そしてフランクはケンジに白鳥の羽を渡しますが、この白鳥は、フランクが子供時代に殺しその血を飲んだ白鳥だと思われます。
ぬるま湯にドップリと浸かっている日本人へのフランクからのメッセージです。
シャッターの閉まった「お見合いパブ」の店内には惨殺された死体がころがり、平和な日本の裏側には狂気が存在することを忘れてはならないと。

これは読売新聞で97年1月から連載が開始された作品で、偶然にも、97年5月に起きた神戸殺人事件の始まりと終わりが、『インザ・ミソスープ』の始まりと終わりに合致していたというすごい話です。

いまだに古臭さを感じさせないどころか、どこかにフランクのような人間はどこにでも潜んでいると思わせます。

全体を通して読むとケンジとフランクの異文化交流友情日記とも読めなくもないですが、前回の「ロマン」同様、殺戮シーンにおいてはかなりグロいですので、得意な方以外にはお薦めできませんwwww



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