「永遠の0」向井ちゃんバージョン

「ネトウヨ丸出し」や、「戦争賛美ファンタジー」などという過激な批判が物凄い作品ですが、私、3話分観させていただきましたが、著名人とかアレな人が言うほど別に特攻を美化しているようには思えませんでしたね。

それ以前に岡田ちゃん主演の映画や、原作なども読みましたが、まあ映画は岡田ちゃんが出るだけで5割増し…いやいや、まあまあ原作もなんつーか、百田氏の文章ってアホでもわかる簡潔な文章なんで、戦争を知りたい人の初心者本として入るにはまあいいんじゃないですかね?というような感じでしたね。
批判してる人も、井筒監督はね…あの人自分の映画しか好きじゃないだろと言う感じなんで、批判されても特に何ということもないと思うんですけど。
ちなみに映画と本は、観てから結構経ってるんでうろ覚えなんですが、ドラマを観て多少思い出したふしがあるので、比較と同時に、個人的な感想を述べさせていただきますね。

映画も、今回のドラマも話の筋はあまり変わってないです。
ただ、天下のテレ東というか、映画の場合スポンサーに負けて、アレな場面は削られてしまったみたいですね。
まあ戦争系ってのはデリケートな問題ですから。
しかし、ブレないテレ東は独自の道を行き、かなり丁寧なつくりになってました。
ゼロ戦のチャチさ加減がなんとかならんかという程度の違和感ぐらいで、現代パートの元兵士の爺ちゃんたちは映画同様いい味出していたと思います。

この話は、フリーライターの姉・慶子が弟・健太郎に「昔零戦パイロットだった祖父・宮部久蔵のことを一緒に調べてほしい」というところから始まる。
今の祖父とは血のつながりは無く、実の祖父・宮部は特攻で命を落とした。その理由を調べていくうちに色々なことが分かっていくという筋である。
祖父である宮部は、お国のために命を捧げるのが当たり前の日本軍にあって臆病者とそしりを受けながらも、“命を何よりも大事にする男”で、たとえば、真珠湾攻撃の成功に仲間たちが湧くなか、ひとり浮かない様子で「未帰還機が二十九機出た」「妻のために死にたくない」と言う。特攻に志願する者は一歩前へと言われ、「命が惜しい」とひとり動かず怒鳴られる。部下をもつようになると、「命は一つしかない」「死ぬな。どんなに苦しくても生き延びる努力をしろ」と部下に諭す。特攻要員の教官になると、未熟なまま実戦に投入されて死んでほしくないと学生たちに合格点をつけない。
今生きている、宮部と関係のあった海軍少尉などに取材していくと最初のうちこそ「臆病者」として憎まれていた祖父だったが、そのうち取材を続けていく内に、狂った世界で唯一命の大切さを考えていた男なのでは?というような考えが出てくる…
そのあとはまあ祖母が当時は恥ずべき行為であった選択をしたり、もう一人の祖父と宮部の関係などが浮き彫りになってくるので、まあ気になる人は本を読みなはれwwwwwww

で、ここから先は私の個人的な感想になるんですが、まあ話の筋はやくざが出てきたり、モデルとなった人が幾人かいるようですが、ここまで腕のいいパイロットで特攻に行った例がないようなので、創作ものの戦記ものとしてはこの辺が荒唐無稽と思われているようですが、全体的に見れば大したことではないと思います。
光人社から発行されている戦記ものなどは実在したモデルがいたり、実際の兵士の日記などだったりしますが、あれもよく見ると戦争賛美じゃないんですかね?なぜ百田の小説だけあそこまで批判されるのか、ちょっと理解に苦しみます。

全体的にドラマを観てて感じたのは「宮部久蔵」という男の生きざまというのか、あの狂った時代において、一人だけ健全な魂を保ち続け、しかし、毎日毎日生き残るために人殺しを続けて心が疲弊し、自ら特攻に志願して散ったという話。
これだけ読めば、実際妻のため、子供のために何が何でも生き残りたいと敵兵を無情に殺していった男が、最後ブレるのはおかしいじゃないかという話らしいが、毎日毎日人を殺していって、死んでいくうちに心が死に向かうことってあると思うよ。戦争を体験してない私が言うのもなんなんだけど。

で、この「永遠の0」を痛烈な批判の文章の中で

「そもそも、日本軍で「死にたくない」「生きて帰りたい」と日常的に公言するという主人公の設定じたいが、あり得なくないか? 当時は、一般庶民でさえ、心の奥底では「戦地に行かないで」「生きて帰ってきて」と思っていても、世間の空気的にそんなことは絶対に言えず、「万歳」と送り出すしかなかった、そんな時代なのだ。」

というのがあったのだが、「公言」してるわけではなかったし、公言したらボコられてたやんけ。
ボコリで済んでるのもまあ宮部が腕のいいパイロットだったせいもあったんだろうけど、全体を通して観たら宮部久蔵の生きざまに涙し、考えさせられた。色々な方が「感動した」というような感想だったが、まあ私これはちょっと違う気がするのよね。
「感動した」で終わりにするなと。
感動して何が心に残ったんやと。その辺が百田(はぶっちゃけどうでもいいんだが)の伝えたかったリアリズムなんじゃないのかとかね。押しつけ批判もムカつくんだけど、感動したっつって終わりにして、ケーキ食べに言っちゃうような奴はちょっとこの野郎とか思うわけです。

元兵士たちが語る当時の戦場の様子のすさまじさ、人間性を無視した零戦の機能、上層部の出世至上主義。これを観てもなお戦争賛美と語るのだろうか?
兵士たちも、批判によると戦争責任については言及していないなどと書いてあったが、戦争に行って、戦友が馬鹿な作戦で死に、それを馬鹿な作戦だったとか戦争は間違っていたなどと言わすのは、お国のためにと死んでいった彼らを無かったことにする行為なのではないのか?

批判するのはいいんだけど、そういう考えを人に押し付けるような批判は本当に嫌だよ。
私、別にネトウヨでもサヨクでもないし、どっちかっつーとこの話、実際観るまでは批判する気でいっぱいだったのよね。

でも観てみたら戦争を賛美しているようには感じないし、井筒が言う様に海猿みたく絆で感動させるとかイヤらしい見方は出来なかったし、今この平和で戦争を永久に放棄できている状況に感謝するべきなのではないかと考えさせられるのである。

まあ繰り返し言いますけど、これは私個人の意見だし、みんな違ってみんないい(by金子みすず)ですから、この「永遠の0」観て自分の考えを持ってほしいと思いますね。
向井君も言ってたけど、戦争について考える機会と言うものを一年に一回もってみてはと思うのです。
考えたらなにが変わるとかじゃなくて、何かを観て何かを考えるというのが読書の本来の用途なんではないですかね?と考えるわけです。


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