思い出のマーニー

~あらすじ~この世には目に見えない魔法の輪がある。
海辺の村の誰も住んでいない湿っ地(しめっち)屋敷。
心を閉ざした少女・杏奈の前に現れたのは、青い窓に閉じ込められた金髪の少女・マーニーだった。

「わたしたちのことは秘密よ、永久に。」

杏奈の身に次々と起こる不思議な出来事。時を越えた舞踏会。告白の森。崖の上のサイロの夜。
ふたりの少女のひと夏の思い出が結ばれるとき、杏奈は思いがけない“まるごとの愛"に包まれていく。

あの入江で、わたしはあなたを待っている。
永久に―。(Amazonより抜粋)


遅ればせながら、ジブリの話題作を観てみた。
正直、観るまではひと夏の友情映画の域を超えないものかと舐めていたが、いざ観てみると原作は児童小説でありながらかなり複雑で深い。

まず、主人公の杏奈が、両親と血がつながっていないことや、同級生たちと壁を作って寄せ付けない子であったことに共感を覚えてしまった。
自分自身も12歳~16際くらいまではとにかく心が一人だった。血のつながりはあっても親のDVや、何も考えてなさそうな、心のインナースペースに土足で踏み込もうとする自称「友達」や、先生、この地球上すべてが敵に見えて、なにも信じられなかった時。
今で言えば中二病ともいえるが、40歳過ぎていまだ心の片隅ではどこか心は一人のままではある。
それはさておき、冒頭は杏奈が外で絵を描く授業中、持病の気管支喘息で発作を起こしてしまうことから始まる。
主治医の勧めもあり、義母の地元である親戚・大岩セツの家で、夏休みの間、療養することとなった。
海辺の村にやって来た杏奈は、美しい湿地の対岸に、古びた洋館を見つける。どこか懐かしい感じがする杏奈は、村人に尋ねると、そこはもう数10年も人が住んでいない「湿っ地屋敷」なのだという。

ボートに乗って屋敷を目指す杏奈。屋敷の近くまでくると、誰もいないはずの屋敷の窓に明かりが灯り、少女の「ロープをこっちへ投げて」という声が聴こえた。そこには、金色の髪で青い瞳、白いネグリジェの少女が立っていた。
彼女はマーニーと名乗り、杏奈はマーニーとすぐに仲良くなった。そして、2人は屋敷で楽しい日々を過ごした。また、昼間に見かけた、湿っ地屋敷の絵を描き続ける高齢の女性・久子とも親しくなった。

湿っ地屋敷には、変化が現れた。東京からやってきた一家が、屋敷を改修し上で住むこととなったのだった。一家の娘・彩香は、屋敷を見つめていた杏奈に「マーニー!」と呼びかける。
彩香は、マーニーの部屋にあった日記を読んでおり、杏奈のことを「マーニーではないか」と思ったのだった。
杏奈は、彩香に渡された日記を読む。杏奈は、今まで、マーニーのことを自分の想像上の人物と思っていたが、日記の存在により「マーニーは実在の人物」であると判明するのだった。

杏奈は、崖の上のサイロを訪れ、突然の雷雨に外に出ることもできなかった。その夜を過ごし、杏奈は風邪を引いてしまう。見舞いにやってきた彩香は、杏奈に日記の続きを見せる。

風邪が治った杏奈は、屋敷を再び訪れる。そして、絵画の裏に書かれていた署名から、その絵を描いたのは、今も屋敷の絵を描き続ける久子であると判明した。そこで、何かマーニーについて知っているのではないかと考え、杏奈たちは久子に話を聞きに行く。

久子は、マーニーにとって、大切な友人だった。マーニーは父母から離れ、意地悪な使用人とともに寂しい日々を過ごしていた。そんな彼女を支えてくれた、幼なじみの男性と結婚し、子供を産むが、夫は若くして死去してしまう。
病弱なマーニーは、子育てができず、子供は寄宿舎のある小学校で育った。迎えに行くころには、すでに母子関係には大きな亀裂が生じていた。若くして結婚し、家を飛び出した子供は、夫と一緒に交通事故で死亡する。

孫となる子供はまだ幼く、マーニーは、孫であるその子を自分で育てることとなった。その孫こそが、杏奈だった。そこで、マーニーは杏奈に様々な思い出を語った。屋敷で開かれるパーティー、使用人に閉じ込められて怖かったサイロ。
その記憶があったため、杏奈は屋敷を見てデジャブのような感覚になったのだった。マーニーは死亡し、孫は親戚の引き取り手がなく、児童保護施設に引き取られた。頼子が迎えにやってきて、そこで、児童保護施設で引き取る際、杏奈が持っていたという写真を見せた。それは屋敷の写真であり、その写真の裏には「マーニー」と署名があった。

そのことから安奈の中ですべての符合が一致し、自分が愛されていたことを知るのであった。

という話なんですが。

個人的に、映画の中で、杏奈の不器用さに目がいってしまった。そしてマーニーと接していくうちに、徐々に自分が今なぜこんな状況なのかともがいている様が今の自分とダブって不覚にも涙が出た。

杏奈は、義母・頼子が義母であるがゆえにお金をもらっていることを知り、苦悩するが、結局義母には聞かない。最後に義母がそれを打ち明けようとするが、マーニーとのことで「許す」ことを覚え、そして自分自身に折り合いをつけるのだ。しかし、無理やりではない。自分の中で何が大事かということを悟ったのだと思う。
結局のところ、本当に裏切っていたのかとかではないのだ。裏切っているかどうかはその人本人にしかわからないことだし、ましてや価値観次第では本人にすらもわからないことだろう。
だからこそ、冷静になって、自分の大事なものはなにか、本当に裏切られたとして、泣いてすごすのか、もがいても苦しくても前へ進もうと笑うのか。それは自分自身で決めていいことだし、自由なのである。

最近自分自身いろいろあって心から笑えなくなっていたが、この映画を観て気づかされた。
裏切るとか嘘とかそんなことはどうでもいいし、私には関係ない。そのことで自分が苦しい顔をして毎日泣いてるのを見て誰か一人でも心が痛んでくれるとすれば。
そして自分がまず幸せでないのに、どうして笑えるだろう?そんな女こっちから願い下げだと思うだろう。
とりあえずご飯をおいしく食べて、笑う。毎日を丁寧に過ごしてみようと思えるようになった。

自分が嫌いだと思う人に目を覚まさせる、そんな映画だと思う。



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